無題

好きな人の不幸を大切にしながらこれからも過ごしていたい。きっと、割れたガラスみたいにきれいなんだろうと思う

 

安っぽい黄緑色とオレンジ色をしたケーキは、食べてみるとやっぱり安っぽい味だった。なんとなくメロンの味だということだけが、舌の上や口の中でぼんやりと把握できるくらいの、明日には忘れてしまいそうな、そういう味。

「新宿って、特に用がないっていうか、例えば新宿でどこかのお店に入っても もう行かないっていうか、覚えていないというか。そういう場所だよね。」

満員御礼のカフェで、たまたま隣に座っていた女の方が何気ない顔でそう呟いた。グラスの中の氷をつつきながら。

新宿。ゴミ箱みたいな街だと行くたびに、いつも思っていた。彼女が言った通り、確かに新宿には特に用がなければ来ないし、入ったお店の名前は悉く忘れる。だから、やっぱり、そういう場所なのだと思う。記憶に残らない場所。誰かが何かを捨てる場所。気持ちよく、手放せる場所。私も抱えたものを捨てようと思ったことが一度だけある。だけど、結局なにも捨てられなかった。そのくせずっとそれを覚えているし持ち続けている。捨てられなかったものは、捨てようとした形のまま、いつまでも私の手の中にある。今さら捨てられるものではないから、ただ持ち続けることしか出来なくて、たまにこんな風に思い出して眺めてみては、一人で泣いたりしてみるのだ。なんてきれいなんだろう。

きっとみんなどうせ幸せになっていく。過去の自分を置き去りにして。違う人みたいな顔をして、きっとすれ違ったってもう分からない。 私も昔の自分のことなんか殆ど忘れてしまった。泣かなかった理由も、夜中に吸って吐いた煙草の味も、雨に打たれながら聴いた曲も、他人に向けた殺意も痛みも、そのうちこうして綴っている文字の意味さえも忘れてしまうのだと思う。だけどそれは、私が覚えていなくても、私の代わりに覚えてくれている人がいると知っているから、だから、忘れて大丈夫だと思った。覚えていてもらう代わりに、その人の姿を私が覚えていたかった。私の捨てられない不幸を勝手に預ける代わりに、あなたがどんな花が好きだったか、その花の花言葉はなんだったか。あの日泣けなかった理由もあの時泣いた理由も抱きしめた時の温度も春になると死にたくなることも電話越しの声のか細さも私の名前を呼ぶ声も全部。全部覚えてる。大丈夫、勝手に忘れないでいるから。忘れないから、忘れていいよ。その代わり覚えていて。「そういうところも好きだった」と、言って欲しい。これはすこし贅沢なお願いかもしれないけど。

 

 

昔書いた日記をこっそり投下。どんな気持ちでこれを打っていたのだろうか。忘れてしまった。作り話だったのかほんとの話だったのかもよく覚えていない。